洋野町の岩手県立種市高(伊藤俊也校長)は本年度、独自の防災便り「種高の復興教育」を毎月11日に発行してきた。目を引くのは東日本大震災当時、久慈地域を中心に被災した教職員の体験談だ。「一瞬の判断が生死を分ける。少しでも具体的な教訓を伝えられたら」。震災の記憶が薄い生徒たちに向けたメッセージは重く、強い。
岩手の小中学校は県教委の「いわての復興教育」プログラムに基づき、震災の教訓継承を行う。一方、全国で唯一の潜水士養成学科を有する種市高は生徒の県外出身者割合が高く、本年度は24%。伊藤校長は「本校で学ぶ以上は、他県出身の生徒たちにも必要な防災知識を学んでもらいたい」と発行の経緯を語る。
便りには同校周辺の津波浸水想定区域、津波の速度といった基礎的情報や、災害時に陥りがちな心理状態などの心構えも記載。全校生徒に配布するほか、インターネットの投稿プラットフォーム「note(ノート)」の同校公式ページにも掲載している。有事の際、いつでも参照できるように―との配慮からだ。
□ ■
便りにはもう一つ、同校教職員の被災体験コラム「私の3・11」を随時掲載した。伊藤校長が直接聞き書きし、震災時の生々しい体験や思いを伝える。
当時から同校に勤務する平谷裕教諭は地震後、生徒を送りに久慈市へ向かった際、久慈川の堤防付近で川をさかのぼる真っ黒な津波を目撃し、急いで生徒と高台へ避難した。「目の前で起きていることを信じたくなかった」と振り返る。
潜水作業実習船・種市丸の畑川知寿機関長、金澤勝太船長は他の乗組員と共に種市漁港へ駆け付け、船を沖出しして被害を免れた。畑川機関長は「自家用車は津波にのまれてしまったが、漁業者としての経験が生きた」と話しつつ「一人で操縦できない船の場合は判断が難しい」と、あらかじめ有事の行動を決めておく必要性を強調する。
■ □
津波犠牲者が北奥羽地方で最も多かった野田村。同村の久慈工業高では、生徒と教員計2人が村内外で命を奪われた。生徒は部活動で在校しており、地震直後に迎えに来た家族と車で避難する途上、遭難した。
同校で避難者対応に追われていた佐々木清治教諭は「あの時、学校にとどまるよう引き留めていれば、もしくは沿岸へ向かわないよう呼びかけていれば―という後悔が、今も消えない」と声を詰まらせる。
「高台避難だけでも知っていれば、助かった命がある。生徒には長年、そのことを折に触れて伝えてきた」と悲劇が繰り返されないよう願った。
伊藤校長は3月11日付の最新号で、勤務経験のある宮古水産高の実習船の被災状況などを紹介。「震災前に宮古で勤務していた頃は『津波てんでんこ』という言葉さえ知らなかった。災害の恐ろしさを知らない世代こそ、少しでも教訓に触れてほしい」と力を込める。
【写真説明】