【震災13年・備える】助け合う大切さ、後世に 野田中生、にじむ使命感

【震災13年・備える】助け合う大切さ、後世に 野田中生、にじむ使命感

 東日本大震災は間もなく発生から13年を迎える。震災の前後に生まれた子どもは、今や中学生世代だ。北奥羽地方最大の被災地だった野田村。村立野田中の生徒たちは物心がつく前の出来事をしっかり受け止め、将来に生かそう―と、震災学習や被災地同士の交流などに継続的に取り組んでいる。「震災の記憶や有事に助け合うことの大切さを、後世に伝えていかなければならない」。現生徒会長の晴山将汰さん(2年)の言葉には、被災地で生まれ育った人間としての使命感がにじむ。

今月3日、オンラインで行われた被災地交流会(日本災害救援ボランティアネットワーク主催)には、野田中から生徒会執行部の1、2年生6人が参加。1995年の阪神・淡路大震災の被災地である兵庫県西宮市の中学校と活動を紹介し合ったり、発災から3カ月目に入った能登半島地震被災地での同ネットワークの活動状況を学んだりした。

最後はオンラインでつながった人たちと一緒に「花は咲く」を合唱し、約1時間半のイベントを締めくくった。震災の津波で自宅が全壊したという晴山さんは「交流活動を通じて、震災後の全国からの多くの“支え”のおかげで(ほぼ立ち直った)今の村があることを再認識できる」と話す。

 同村は震災で高さ最大18メートルの津波に襲われ、死傷者54人、住家損壊515棟の被害が出た。ピーク時には912人が避難生活を送った。応急仮設住宅は村内5カ所に213戸が建設された。野田中グラウンドも、2017年まで仮設住宅が設置され、生徒たちはその間、授業や部活動などで利用できなかった。

 それでも、同校は震災以降、「村の太陽になる」をスローガンに、生徒たちが校内外でさまざまな活動を展開してきた。代表的な活動の一つが、12年から続く創作太鼓。傷ついた村を元気づけよう―と始まった鎮魂と復興を祈る“鼓動”は、今や村のさまざまなイベントに欠かせない存在だ。

 「いざ往かん 生かされた者として いざ歩まん この地に生きる者として 過去から継がれたこの路を 未来に繋ぐこの路を」

 今春卒業する3年生が11代目、現2年生が12代目になる。生徒たちは各世代で、創作太鼓「路」に込められるこの意味を学んだ上で、仲間同士で話し合って表現を追究している。

 生徒会副会長の沢里龍玖さん(2年)は「創作太鼓は野田中の象徴で、鎮魂の祈り、復興への感謝、将来への決意などを込めてたたいている。震災当時の中学生がどんな思いで始めたのかも含めて、今後に受け継いでいきたい」と、最終学年に進むに当たって意欲を新たにする。

 震災学習は学年ごとにテーマを設定。1年生は「村を語れるようになる」として、被災者や復興に携わった人たちから話を聞き取り、文化祭などで発表。2年生は「発信」として、宿泊研修先で被災地としての村を紹介しているほか、本年度は災害時に各地区の住民がどう避難すればいいのかをまとめた「逃げ地図」を作製した。3年生は4曲で構成される創作太鼓のうち、震災の情景を戯曲風に表現する集大成の作品を、2年時までの学習成果を基に仕上げている。

 今春には全員が震災発生の翌年度に生まれた世代が入学する。同校2年目で、生徒会を担当する北向和也教諭(28)=洋野町出身=は「震災学習では何年かで異動がある私たち教員側も、軸だけはぶれないよう考えながら学び、指導していく必要がある」と話している。

【写真説明】

オンラインでの被災地交流会に参加した野田中生徒会役員=3日、同校
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