普段のつながり、一番の備え 福祉支援で被災地入りの月舘さん(三沢)

「私たちはそっと背中を押すだけ。避難所の運営は、地元の住民が自らの手で行っていかないと成り立たない」

 社会福祉法人楽晴会(三沢市)のケアマネジャー月舘健司さん(46)は、青森県災害福祉支援チーム(DCAT)として、能登半島地震で2度にわたって被災地入り。石川県七尾市と志賀町の避難所を回り、環境改善や福祉ニーズの把握、要支援者からの相談対応に当たった。長期化する避難、疲弊する住民―。「明日はわが身かもしれない。長期避難を想定し、備えておく必要はある」と指摘する。

 月舘さんは、法人の有料老人ホーム「松園ケアラウンジ・スカイ」施設長で、防災士の資格も持つ。DCATリーダーとして1月19~24日に七尾市、2月29日~3月4日に志賀町で活動した。

 七尾市では小中学校や高校などに開設された避難所4カ所を回ったほか、志賀町では町が設置した避難所や各集落の自主避難所を巡った。避難者の現状把握に務め、医療や看護、保健師チームと密に連絡を取りながら任務に当たった。

 地震から2カ月余り。被災地にはバリケードテープが貼られた倒壊家屋がそのまま残る。上下水道は復旧し始めたが、多くの地域で断水状態が続く。

 水道が使えないと家に戻れない―。家屋倒壊を免れた住民も、多くは夜になると避難所に身を寄せる。被災地域は高齢化率が高く、皆が口をそろえて「生まれ育った土地を離れたくない」と地元への愛着を語る。

 その願いに反して、先の見えない避難生活が続く。市街地のある避難所では、仕切られたスペースに設置された段ボールベッドが変形。湿気でカビが生えつつあり、限界が近づいていた。

 「入った瞬間に分かる。ここはうまくいってないな、と」。その場の雰囲気から、疲弊する住民のイライラが伝わってくる。地域コミュニティーが希薄な地域では、いざこざが起きやすい。「運営や衛生面でも、うまくいかなくなることが多い」と指摘する。

 一方、志賀町の集落の公民館にある自主避難所は違った。集う10人ほどの住民はほとんどが高齢者だが、日頃の強い結びつきもあってか、和気あいあい。健康状態も良好で、「住民の底力を感じた」。

 これまで、東日本大震災で被災した岩手県大船渡市や、西日本豪雨の被災地に赴き、介護施設や避難所の支援に従事した。「本当は私が出向くような災害がないのが一番良い。派遣された経験を生かそうとも思いたくない」と本音をのぞかせつつ、こうも語る。

 「取るべき一番の備えは、非常時に頼り合える、普段からのつながりだろう」。いつ起こるとも分からない災害を念頭に、常日頃から地域住民の信頼関係の構築を意識する重要性を強調した。
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